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フォッケウルフ Fw190 : ミニ英和和英辞書
フォッケウルフ Fw190[ふぉっけうるふえふだぶりゅー190]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

F : [えふ]
 ファロー四徴(症)

フォッケウルフ Fw190 : ウィキペディア日本語版
フォッケウルフ Fw190[ふぉっけうるふえふだぶりゅー190]

フォッケウルフFw 190は、第二次世界大戦時のドイツ空軍戦闘機である。この機体はメッサーシュミットBf 109とともにドイツ航空戦力の主力を担った。愛称は「ヴュルガー」(百舌(鳥))。設計はクルト・タンクによる。
本機は「液冷王国」であった当時のドイツ空軍にあって、唯一強力な空冷エンジンを搭載した主力戦闘機として優れた飛行性能を見せたほか、機体が頑丈で発展性に余裕があり、戦闘爆撃機型や対爆撃機型、高速偵察機型など様々な派生型が生産され、また機体の整備・運用の手間に要するコストも比較的少なく、第一次世界大戦への従軍経験のあるタンクの設計コンセプトの具現化するように、さながら「軍馬」のごとくよく過酷な戦場に耐えて大戦を戦い抜いた。1944年には不足していた高高度性能を改善するため、エンジンを液冷エンジンJumo 213 Aに換装したFw 190 D-9型が登場した。
大戦末期に開発されたさらなる改良型は、設計者であるタンクの名称を取ってTa 152と命名された〔*>フォッケウルフ社に在籍のまま、自分が開発した飛行機に、姓の略号であるTaを付けることができた。詳細は後述。〕。
シリーズの総生産数は20,000機以上。うち、戦闘爆撃機型は6,600機強。
== 開発と運用の経緯 ==
ナチス・ドイツ政権の大軍拡政策によって、ドイツ空軍は戦闘機の近代化を強力に推し進めた。ところが、主力戦闘機メッサーシュミットBf 109は高性能ではあったものの、操縦が難しくまた主脚のスパンが短く構造も脆弱であったため、着陸事故が多かった。また搭載エンジンであるDB 601は生産性に難があり供給数量に限界があった。
その事故率の高さと生産性の問題に不安を感じたドイツ空軍上層部は、1938年〔長谷川 (2007) 、ボーマン (2008)など、1937年とする文献もある。〕、フォッケウルフ(正確なドイツ語での発音はフォッケ・ヴルフ)社に対し、補助戦闘機の開発を依頼した。次に想定される戦争は必ずしも長期戦が想定されていたわけでもなく、当時のドイツが補助戦闘機にまでリソースを回せる国力があるとも限らなかったことから、実際に採用されるかはよくわからない状況であったとも言われるが、フォッケウルフ社ではこれを受けて、クルト・タンク技師およびブラーザー主任技師を中心としたわずか12名のチームで開発を進め、1939年6月1日に初飛行に成功した。
タンク技師は、第一次世界大戦歩兵および騎兵として従軍、大学では第一志望の航空力学の講義が禁止されたため電気工学を専攻、在学中はグライダー研究会でグライダーの設計、製作、飛行までを行い、その後さらに、飛行機の操縦ライセンスまで取得するという異色の経歴を持っていた。
タンク技師はFw 190開発に当たって、その従軍経験から、メッサーシュミットBf 109のような「速いだけが取り柄のひ弱なサラブレッド」ではなく、過酷な戦場での使用に耐える「騎兵の馬(ディーンストプフェルト"Dienstpferd")」をコンセプトとして開発を進めた。完成したFw 190は、強力な武装・良好な空戦性能を持ち、操縦しやすく、最前線でも容易に修理が可能、さらに大量生産しやすい構造という、まさに理想的な兵器であった。
当時、戦闘機に使用するエンジンとして液冷エンジンが有利とされていた。液冷エンジンは前面投影面積が小さく、空気抵抗が少なくなるが、Fw 190は当時使用可能だった唯一の1,500馬力級空冷星形エンジンBMW 139(離昇出力1,550馬力)を使って開発された。これは液冷のDB 601系エンジン(離昇出力1,075馬力)がBf 109その他の機体に採用され、工場側の生産と供給の能力が手一杯であることから、別のエンジンを使用するよう空軍当局が指示したともされ、また同時にJumo 211系も主に爆撃機に供給されていたため選択の余地がなかった、または不本意な選択だったともされる。しかし別の説ではエンジンの指定その他の要求はほとんど無かったともされ、タンク自身は後に、その馬力の大きさと被弾への強さから敢えて空冷エンジンを選んだとしている。
これによりFw 190は液冷王国ドイツにおける唯一の空冷エンジン単座戦闘機となったのであるが、エンジンの出力が高いほか、カウリングの直径をぎりぎりまで絞った上にオイルクーラーやオイルタンクをエンジンの前面に搭載、単排気管の推力で速度を稼ぐと言う、タンクの先進的な設計もあり、試作段階より既にBf 109 Eを凌駕する速度を発揮していた。量産型ではのちに搭載エンジンを、BMW社が開発に成功した、より高出力のBMW 801シリーズへと換装した。なお開発時および実戦配備初期には空冷エンジンの冷却不良・過熱や、エンジンの自動制御装置の不良などが問題視されていた。
本機は、Bf 109がヨーロッパ最強を誇っていた第二次世界大戦の緒戦ではあまり注目を浴びなかったが、スピットファイアMk. V等、連合国の新型戦闘機に対抗する高性能機として1941年から実戦配備が始まった。最初の配備型Fw190Aは英国のスピットファイアMk. Vを実戦で圧倒し、強力な新型戦闘機の登場という混乱を連合国に与えた。本機の活躍によりドーバー海峡上の制空権はドイツ空軍の手中に収められ、この状況は半年後のイギリス空軍のスピットファイアMk. IXの出現まで継続した。Fw 190 Aは搭載するBMW 801エンジンの特性上高度おおよそ6,000m - 7000m以上で急激に出力が落ちるため高高度性能が不足していたが(後述)、しかし大戦前半ではそれは問題とならず中低高度で高性能を遺憾なく発揮し、その後も改良が続けられ、Bf 109と共にドイツ空軍を支えた。
Fw 190は低高度での高性能に加えて、広く安定した車輪間隔や余裕ある設計や頑丈な機体という特長があったため、これを生かして戦闘爆撃機や偵察仕様などは様々な改修キットが作られた。これは工場での改修型のU仕様、戦地改修キットのR仕様があり、「Fw 190 A-3/U2」などと表記された。後には戦闘機としてのA型のほかに戦闘爆撃機型のF型、長距離戦闘爆撃機型のG型など多様な種類が作られた。青木 (1995) では、爆撃任務を行うF、G型にはBf 109の護衛がつく事があったが、爆弾を積まない状態ではFw 190 Fの方が低空性能に優れていたため、護衛を行うBf 109のパイロットらは馬鹿らしい任務であると考えていたとの逸話が紹介されている。また、Fw 190 FがFw 190 Fの護衛を行なったような例もある。実際に東部戦線では地上攻撃航空団が撃墜戦果を挙げることは希ではなく、クリミア方面では第2地上攻撃航空団第II飛行隊が半年で247機もの戦果をあげている。
Fw 190は、高々度より進入する連合軍の重爆撃機や、それを護衛する戦闘機との戦いに必要な高々度性能が不足しており、またBWM 801エンジンでは高々度性能の向上が難しかったため、これを液冷エンジンJumo 213に換装した改良型、Fw 190 D-9型が設計配備された(詳しくは後述)。だがD-9型が配備され始めた1944年晩夏の頃にはすでにドイツ軍全体が燃料欠乏に悩まされていた
。加えてベテランの喪失によるパイロット全体の質の低下、さらに数的劣勢が加わってドイツ空軍にはD-9型を有効に駆使する能力は残っていなかった。D-9型は約700機が生産された。もうひとつはタンク技師の本命であり最終開発タイプとなったTa 152(機体に個人のイニシャルを冠する栄誉を得た)であったが、こちらは60機強の生産に過ぎず本格的な配備には到らなかった。Fw 190シリーズは、最終的には20,000機あまり(修理再生も含む)が生産された。坂本 (2002) によれば、そのうち戦闘機型は13,369機、戦闘爆撃機型は6,634機(合計20,003機)とされている。
枢軸国各国及び一部の中立国や連合国でも多く使用されたBf 109と違い、Fw 190は主としてドイツ空軍で運用された。また、日本は参考のためにA-5型をドイツより有償供与され、1943年に海軍の潜水艦輸送された。この機は陸軍航空総監部で、技術的な分析ののち飛行テストがなされた。その結果はメーカーの技術者も参照でき、五式戦闘機のエンジン排気の空力処理などの参考にされた。その他の飛行テストなどについては#エピソードで詳述する。
第2次大戦後、Fw 190の性能を調査した連合軍側は、「第2次世界大戦におけるドイツ最良の戦闘機」という評価を与えている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「フォッケウルフ Fw190」の詳細全文を読む




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